| 時期 |
経過 |
| 1985年夏 |
東大病院にて帝王切開で誕生後、すぐに小児科に移送。病名は多脾症単心室。 |
| 1986年 |
無呼吸発作が改善せず、一進一退。体重増加は横ばい。ミルクと離乳食の経口摂取になかなか
移行できず。 |
| 1986年秋 |
先天性心疾患の手術成績のよい福岡こども病院に転院。 |
| 1989年夏 |
フォンタン手術で実績のある東京女子医大病院にて心臓カテーテル検査実施。手術適応あり。
入院予約。体調管理等で幼稚園入学は断念。 |
| 1992年1月末 |
フォンタン手術およびペースメーカー植込み術施行。 |
| 1992年3月〜 |
間歇的に浮腫残存。運動制限あり。学校生活での体育や運動会は見学。 |
| 〜2000年夏 |
浮腫依然残存。利尿剤処方。頓服使用を開始。夏、ペースメーカー電池交換。 |
| 2001年12月 |
高校1年、最初の心房粗動発生。電気的除細動実施。 |
| 2002年2月 |
心臓カテーテル検査実施。利尿剤、強心剤、坑血小板剤開始。カテ後、心嚢液貯留を認める。
発作が心房細動に移行し、頻発傾向に向かう。 |
| 2003年10月28日、
29日 |
連日の発作。入院・検査。著明な変化は見られないとして退院。他医療機関でのセカンドオピニ
オン受診を決断。 |
| 2003年11月初旬 |
術後11年目。術式を知る(APC型)。 |
| 2003年11月中旬 |
国立成育医療センターに転院。「心不全」の診断。転院手続のさなか、発作出現。緊急入院。 |
| 2004年2月 |
心臓カテーテル検査実施。心筋の状態が非常に悪いことを知らされる。本格的な不整脈の治療
に入る。 |
| 2004年3月 |
退院。外来にて経過観察。 |
| 2004年4月 |
心房細動で再入院。国立循環器病センターに、TCPC-EX型フォンタン手術への適応を打診。
心筋劣化で手術適応なしとの回答。 |
| 2004年春 |
状態悪く入退院を繰り返す。カナダ、トロントの小児病院への打診にて心臓移植レベルと判明。
ドイツに打診。外国人受入れ枠(前年度実績の5%ルール)超過で受入拒否。UCLAにて適応あり
との回答を受け、準備に入る。APC手技特有の門脈圧亢進症と胃の静脈瘤を認める。移植基準
に合致するかどうかの検査を続行。 |
| 2004年夏 |
一時退院するも状態安定せず再入院(2005年2月末まで)。 |
| 2004年11月 |
食欲不振から脱水に。急激な血圧低下でICU入り。腎不全を併発。危篤状態。昇圧剤、強心剤、
輸血で回復。 |
| 2005年1月末 |
門脈圧亢進症が肝硬変に進んでおり移植候補からはずれる。QoLを考慮して、従来の治療で
延命し、最先端医療に望みをつないでいく方針に変更。 |
| 2005年2月28日〜 |
外来にて経過観察。女子医大受診を再開。利尿剤、強心剤、抗凝固剤、抗血小板剤(抗不整脈
剤は血圧回復後に再開予定)を服用。送迎・介護付きで高校復学。水分・塩分・運動制限あり。
体重・体温・脈拍・血圧・水分出納量・歩数他、徹底した数値管理。 |
| 2005年9月 |
最先端医療(再生医療、補助人工心臓)を模索。フォンタン循環に対する補助人工心臓の適応は
なし。再生医療の臨床への応用も今一つ。海外多臓器同時移植の可能性を模索。 |
| 2006年4月 |
QoL続行。大学進学を果たすも、2週間後に風邪から体調を崩す。心不全増悪で入院。 |
| 2006年5月 |
東京女子医大病院と国立成育医療センターとの連携により米国ピッツバーグ大学病院(UPMC)
での心・肝同時移植受入れ内定。 |
| 2006年10月2日 |
UPMC日本人医師が成育を訪問。直接の診察がかなう。移植の受入れについて具体的進展の
手ごたえを得る。 |
| 2006年10月11日 |
UPMCより、Medical Acceptance(医学的受入れ書)が届く。 |
| 2006年10月20日 |
UPMCより、Financial Requirements(デポジット等の書類)が届く。デポジット金(保証金)は
約60万ドル。 |
| 2006年11月1日〜 |
UPMCから心臓カテーテル検査の依頼。成育にて実施。同日、概算総額に関するレターを落掌。
医療費総額が200万ドル〜300万ドルに達するという情報に呆然。公開募金活動準備に入る。 |